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  • 執筆者の写真Yoji Yoshizawa

ベースについて

(オリジナルFB投稿:2018年3月30~31日) ベース関連、その1。


私はベースプレーヤーでもあるので、たまにはベース関連の投稿を。だいぶ専門的な内容なので文章は飛ばしていただいても結構ですが、添付したURL先の演奏は是非とも聴いていただきたいところであります。


ベースはリズム楽器であり、アンサンブルの中でドラムと一体化するという側面ではなく、音の選択について書いてみたいと思います。


コードはルート、3度、5度、7度などの「コードトーン」から構成されています。Cと書かれていれば、C、E、G、いずれの音を弾いても間違いではありません。ところがこのベース音選択は全体の響きを変化させるので、厳密なポップスのアレンジではC/Eや、C/Gと指定がなされます。クラシックの世界ですと、通奏低音に同じような概念があります。


コードトーンが指定されている場合は、どの位置でそれを演奏するかが表現にとって大切になってきます。たとえば「Tears」のイントロはC-B-Aですが、これは12フレットより上で演奏して、軽くしてあります。「Superman」、最後のフェードアウト前のどこで1オクターブあげるかがポイントで、「我慢、我慢」とつぶやきながらレコーディングした記憶があります。


ジャズの文脈では、しばりが少なく、ベースプレーヤーにはより多くの選択肢が与えられます。大別するとアプローチは、(1)コードトーンの選択、と(2)全体のハーモニーの進行、を考慮したものとなります。


ロン・カーターは一番勉強したベースプレーヤーです。彼の音の選び方は天才的、且つ、理にかなったもので、お手本としやすく感じていました。


ジム・ホールとのDuoの「枯葉」でも、目からウロコではありますが、とてもシンプルで、論理的な音選びをしています。


テーマ部分とアドリブの冒頭はコールアンドアンサー形式で、ギターの弾くラインに答える形式をとっています。キーはGmなので、テーマの弾き終えにロンはGを弾いていますが、そこからソロに入るジムはG7をヒントするBを入れたフレーズを弾きます。これは次の頭のCm7に対するドミナントモーションの形成で特段驚くことではないのですが、面白いのはソロに入って一巡目の同じ場所ではベースがDbへ行きます。Cm7へとつなげるbII7あるいはbIIメジャーセブンを想定している訳です。機能的に同じ場所(Cm7)へと向かうのですが、ギターにはこの一音により、可能性として考えられるスケールが複数示唆されてくるのです。


サビの部分は通常、Am7b5-D7-Gmで始まりますが、ここでロンはDのペダルポイントを弾き続けます。DはGmの5度でもあるということを巧みに利用し、Gへ解決せず、一定の緊張感を保っています。そこからCm-F7-Bb-Ebという進行があるのですが、そこはFのペダルポイントで最終的にEbへと解決するまで緊張を維持します。これによりベースがEbを弾いた時の緊張緩和が増幅されるんですね。


ベース音は音楽のベース=基礎となります。さらに掘り下げて行くと、差音など、物理や聴覚心理といった領域にも触れることになり、また理論構築がベース音抜きに語れないことを痛感されるでしょう。 ***

ベース関連、その2です。

大学時代に音楽をやっている友人たちと話していて「8ビートの後に16だったから次はなにか?」といったたわいもないことが話題になりました。その時、私が真面目に言った事は「ベースの音が変わるのが次だ」でした。


当時すでにシンセベースは多用されていたのですが、私は、その後のヒップホップなどで使われるようになったベースギターよりさらに低い音をイメージしていました。オーディオがお好きな方はご存知だと思いますが、ウーハーはどこに設置しても関係ないという特性があります。低音は音場を支配するという発想から、全体のサウンドを異なるものにするためにはベースの音域や、音色が変化すると思ったのです。


シンセベースは、それが使い始められた頃、認知されるピッチの問題がありました。ちょっと脇道にそれますが、ギターシンセでは色々な音をパッチというプリセットにいれておきます。GRのデモをNAMMショーでやったときには、フルートの音色を入れていたのですが、スイッチを踏んでこのパッチを呼び出すと、チューニングが下がったように聴こえるのです。


この現象は、後に吉澤実氏から、「オケでは弦と木管がチューニングで喧嘩する」という話を聞いて、倍音に由来するものであると理解しました。


物理的にピッチを検出すると、同一の周波数であっても、高く、あるいは低く、聴こえるのは脳の感覚処理によるところであると推察しましたが、それより深く掘り下げて勉強せず、今日に至ります。


始めて気づいたのは、仕事がらみでいただいたサンプルテープ(たしかジャーメイン・ジャクソンのアルバム)でした。シンセベースだと周波数的に合っていても、全体的な文脈で聴くと違和感を感じさせます。Eric Benetの「Georgie Porgie」はピアノが入ってくるとすごく違和感があるんですね。さらに補足すると、面白いもので、何回か聴いているとそれが無くなって行く。脳内で認知しているピッチが慣れで補正され、後に入ってくるピアノのピッチとの相対的な音の高低への期待値が修正され、記憶されているからではないでしょうか。

音は、認知されて初めて音になります。脳が感覚器官を通じて得た刺激をどう処理するかは、物理的な音響へのアプローチとは異なる切り口でたいへん興味深いものだと感じています。 ***

ベース関連、その3(たぶんラスト)です。


コンプレッションという概念は、音楽の世界では大きい音と小さい音の差を「圧縮」するというものです。実は、これ以外と身近にあるもので、ラジオやテレビの音声にはコンプレッションがかかっています。若い頃、FENの放送から聴こえてくるロックの質感が日本のラジオと違うと思っていたのですが、コンプレッションのかけかたが異なっていたと教えてもらったのはずいぶんと経ってからでした。


またちょっと迂回します。ドラムの上にさまざまな音を重ねて行くと、ふと、デカい音で鳴っているはずのバスドラが消えて聴こえます。色々な周波数が鳴っていると干渉により、消える音があり、蛇足ですが、静かな環境を演出するためにこの特性が研究され、商品化されてもいます。数年前には、病院の待合スペースなどで、プライバシー保護のため、同じスペースにいても、ローカルな会話が聞き取れない様にするシステムも開発されています。

歴史的な発展経緯は、ここから書く使い方とは異なりますが、上記、バスドラが消えてしまわないようにする、エンジニアリングのテクニックにSide-chainingがあります。色々と複雑な側面を無視して、書けば、バスドラの音をスイッチにして、他の音を圧縮することにより、バスドラが聴こえるようにするのです。ヒップホップやトランスで、音がたくさん混ざった状態でも、ビートの根幹を成す、バスドラやベースが聴こえてくるのはこういう工夫もあったりするわけです。


ある音をトリガーとして、他の信号処理をコントロールするという概念をさらに映像とリンクしているビデオをご紹介。James GinzburgとPaul PurgasのEmptysetというユニットのものです。


アラカンの私は、こういうやり方を模索しようとは思わないベクトルの方法論ですが、音楽の創り方としては面白いと思って、たまにチェックしています。


さて、夕暮れの森を眺めながら、生の楽器でも触るとしましょうか。 *** ベース関連、その4


前回でラストと思ったのですが、奏法について少し書くことにしました。


Brothers Johnsonが登場したのは70年代中期。「Look out for #1」のルイス・ジョンソンのスラップは衝撃的でした。当時の日本では「チョッパー奏法」と呼ばれていたスラップは、市民権を得、皆、こぞって真似をしました。


ネックのある弦楽器では、弦を振動させつづけるため、弾いた後、それに触りません。振動している弦に触れると、音が止まってしまいます。止めるテクニックはミューティング(消音)で各種ありますが、弾弦時の指はボディに平行な動きをします。


スラップでは、基本的にふたつの弾弦法をつかいます。(1)弦を持ち上げ、ネックにあてる、と(2)弦を叩く、です。


これはギターでも可能で、ビレリ・ラグレーンはこれが上手です。最近の若手では、Tomo FujitaやMIYAVIなんかがスラップやりますね。


ルイス・ジョンソンの出現前から、スラップ奏法は主としてベースプレーヤーに使われていました。ロカビリー、ロックンロール初期のアコースチックベースを使ったプレーヤーたちはSlam Stewart、Major Holleyら、ジャズの巨匠たちからそれを学んだのでしょう。


アップライトベースで、楽しいスラップを見せてくれるのは、Frank De Nunzioです。マリンバ・クイーンズは、ご覧の通り、ちょっと色物的なバンドなので、ジャズ、あるいはポピュラー音楽史に大きな足跡を残すことがなく、Frankも正当な評価を得るに至りませんでした。 ***

ベース関連、その5


1976年にリリースされたこのアルバムは、エレキベースがどのような楽器であるかを完璧に変えてしまいました。ジャコ・パストリウス以前、以降とでも形容できるほどのインパクトがあったのです。


ジャコ以前にも、リード楽器のようにベースを弾くプレーヤーは多々居りました。ジャコが意識していたスコット・ラファーロなどもそのひとりです。


アルバムはチャーリー・パーカーのDonna Leeで始まり、その演奏スピードにベーシストたちは衝撃を受けます。しかし、ほんとうに打ちのめされたであろうトラックはこの「Portrait of Tracey」でしょう。


管楽器にも空気振動を制御することによる同様のテクニック(フラジオレット)がありますが、弦楽器はピタゴラスに遡る、弦振動とピッチの関係を奏法に取り入れています。ハーモニックスです。


開放弦の12フレット上、指を軽く触れ、弾弦すると、1オクターブ上の音が鳴ります。この場合、弦の12フレットを境として、ふたつのセグメントで振動しています。よって半分の長さの弦を弾いたのと同じピッチが聴こえてくるのです。


12フレットは、ギターですと、弦長のちょうど中間点に位置するので1/2のピッチになりますが、3等分し、糸巻から1/3の位置の7フレット上で同じことをやると完全5度の音が聴こえます。


ハーモニックス(倍音奏法ともいいます)で、得られる音はトライアングルやベルのようにキラキラと美しく響くものです。

生楽器でも当然のことながら、この奏法は有効ですが、エレキベースでは、本来、小さすぎる響きのハーモニクスが増幅され、生楽器では有効に使えなかった音が使用可能となります。この曲も出だしで、5フレ、3フレ、4フレが使われますが、5フレ以外は生楽器ではボリュームが得られません。


当時、すでにベースをマスターしていた人たちは、「やられた!」と思った事でしょう。なにしろ、すべての材料は手の内にあったのです。原理、奏法など知らないプレーヤーは考えられません。しかし、このように美しい曲をしあげたのは、ジャコだったのです。 ***

ベース関連、その6

ミゲル・リョベート(1878-1938)は、「アルハムブラの思い出」で有名なタレガの高弟で、セゴヴィアの恩師でもあります。


彼は、ギターのさまざまな特殊奏法を世に広めた第一人者でしょう。「ソルの主題による変奏曲」は、そのような奏法のパレードで、第9変奏は、左手のみで右手を使いません。クラシックギターでは音量が得られず苦労するところですが、エレキギターでは増幅され、容易に音が出るのでタッピングと併せて使われるテクニックです。蛇足ですが、ある学生がYoutubeにこの変奏曲をアップしており、第9変奏をヴァン・ヘイレンのように右手のタップをまぜて弾いていました。自分の奏法が、エレキの文脈で一般化され、巡り巡って、それで自作が解釈されたことにミゲルは苦笑いしていることでしょう。


リョベートは「カタロニア民謡集」という、文字通り、カタロニアの民謡を編曲した曲集を残しています。ほとんどの曲で使われているのは、ハーモニクス、そして「オクターブ・ハーモニクス」と呼ばれるテクニックです。


前投稿で、ハーモニクスの原理を説明するにあたって、開放弦を条件としました。オクターブ・ハーモニクスでは、人為的に開放弦を作り、ハーモニクスを鳴らすというテクニックです。


具体的に。1弦解放(E)の12フレット上を軽く触れると、1オクターブ上のEが聴こえます。そこで、1フレット(F)を左手でおさえ、13フレット上で同じことをやると1オクターブ上のFが鳴るのです。


開放弦の場合は、左手で12フレット上に軽く触れ、右手で弾弦するのですが、1フレット目をおさえてしまうと、どうやって「軽く触れる」のかが問題となります。左はフレットを抑えてしまっていて、使えません。


そこでひとつの解法は、右手人差し指で、左で抑えたフレットの12個上に軽く触れ、空いている中指で弾弦するというものです。これはクラシックギターの基本的なアプローチで、このやり方ですと、ベース音を弾くための親指がフリーになっており、ビデオの「アメリアの遺言」のBパートでお聴きいただける、「メロディーはハーモニクスで、ベースがナチュラル音で伴奏」ということが出来るわけです。


オクターブハーモニクスのジャズにおける名手はなんといっても、レニー・ブリュー(Lenny Breu)です。彼の場合、人差し指が軽く触れるというところは同じなのですが、弾弦は親指となります。


さて、やっとベースです。ジャコ・パストリウスも当然のことながら、オクターブ・ハーモニクスの原理は知っていました。彼の場合は、クラシックギターやLenny Breuとはことなり、右手親指で17フレット上に相当する箇所に軽く触れ(2オクターブ上の音が出ます)、人差し指と中指を弾弦に使っています。「Birdland」のイントロのビデオをご覧になっていただければ、彼がそれをやっているのが見られます。

***


ベース関連、その7


ギターもそうですが、ベースを指で弾くか、ピックで弾くか、迷われたことのあるプレーヤーは多いと思います。私の場合、クラシックギターの仕事をやるようになった、アルバムで言えば「Flower」前ぐらいからピックオンリーです。爪を伸ばしてしまうので指頭を使った演奏が出来なくなるからです。


指頭を使ったタッチは、エレキベースの登場が必要でした。コントラバスでは、弦との接触面積を広げるために指を傾けるのです。手首が奏者の顔よりに倒れる形になるんですね。エレキベースですと、弦が細くなり、指頭だけでも十分な弦振動をおこすことが可能となります。もちろん例外もあり、右手3本(人差し指、中指、薬指)を使ってもの凄いスピードでアコべーを弾いていたニールス・へニング・ぺデルセンの場合は、薬指を使う物理的要請から弦に対してより直角に近いハンドポジションになっていました。


タッチに関しては、さまざまなアプローチがありますが、大別すれば深めと浅めのふたつになります。二者択一ではなく(たいてい音楽のテクニックはTPOですから)、両方使うのですが、浅めのタッチはギターにも通じる難しさがあります。


浅いタッチですと利点として、早く弾けるのです。アドリブでは特に、この容易さは心理的にも大きく作用します。ジャコ・パストリウスの例ですと、「Teen Town」は書き譜(事前に演奏するものが決まっている)ですから、比較的深いタッチが使われており、はっきりとした音で弾かれています。これとは対照的に「Crisis」では、アドリブの時のような軽いタッチとなっています。


表現の観点から言えば、浅く軽いタッチを基調とすれば、ダイナミックレンジが広がりますが、注意していただきたいのはそのようなレンジの前提には深く重いタッチもあるということです。車の走行で言えば、40kmで走っている人は(上限が100km/時として)40から100までのレンジがありますが、80kmで走っている人には80から100までのレンジがないと言うことです。音楽は均一に奏されることは、特殊な場合を覗いて、ないのでダイナミックレンジの幅を確保しておくことが必要不可欠となります。


伴奏楽器としての位置づけであれば、後者の80から100ぐらいの演奏が要求されることがあります。この均一化のために、前メンションした、コンプレッサーがエフェクターとして活躍したりもするのですが、私は使わない派です。


浅く軽いタッチを練習するには指と弦の「コミュニケーション」を実感することが良いでしょう。これはブリッジ近く、弦のテンションが高いところで演奏するのですね。弦からの反発が指先にフィードバックされます。


上記になれてくると、こんどは面で弦に指が当たっているという感じから、針の先ぐらいのところに力が集中して弾いているようにイメージしてタッチを作ります。サラッと書きましたが、これは難しいです。


右手のタッチと似ているのですが、左も弦を指の腹で抑えるというポップス系のテクニックではなく、ナイロン弦ですと、爪と指の腹のDMZみたいなところ、そらまめの頭の柔らかい皮みたいなエリアで圧を加えます。先日、芸妓さんから三味線のツボのおさえかたについて話していて、同じ技術が使われていると聞いたのは興味深いところです。

次項では、ピック奏法について。 ***

ベース関連、その8


ピックについての投稿を分けたのは、前項を書いている途中で妻が現れ、Boysのペットシートを買うように、またフィーダーの種がなくなっているから撒けとのお達しがあったからです。しかしAmazonをポチッしながら、我が家の消費の90%は犬猫Boys、あるいは「外飼い」の鳥たちに費やされているんだと改めて気づかされました。


さて、ピック弾きです。

ピック弾きでまずそのプレイを思い出すのは、クリス・スクワイヤーです。リッケンバッカーという楽器の特性もありますが、頑なにピック弾きを貫いた人です。


ギターでも同じなのですが、王道のテクニックとして、ピックは弦にフラットに当てます。上から見たら、ピックと弦が平行になっているのですね。もちろん全てのテクニック同様、それだけでは表現にならないので、角度を変えて音色を変化させます。一般的におにぎりピック、三角ピックと呼ばれているものですと、斜めに下からのアップストロークを上手にコントロールするとトーンが暗くなります。「アー」が「ウー」になるということです。


個人的には、ベースではギターより、ピックをフラットに当てるようにしています。最近のコンサートで私のベースの構えが指で弾いていた頃と比べ、地面と平行になっているとお気づきの方もおられるかと思います。そのように構えた方がフラットなピッキングに都合が良いのです。


ピッキングはアップとダウンがありますが、ベースは弦がギターより太いので、手首の返しがよりしっかりしないとアップダウンの音に差が出すぎてしまいます。差はどうしても出てしまうのですが、これをコントロールすることが要求されます。


ジョージ・ベンソンはピックが弦に対して、ピックの先端が自分寄りです。斜めにアップストロークが弦を下から通るイメージです。これはリュートの伝統的奏法においても同じ、下から上へと弦を回転させるものです。ベンソンの場合は、フレージングに合わせてこれを使っています。ピッキングはダウン・アップなのですが、下から跳ね上げるアップが微妙なアクセントを生み、スキャットで言えば「ドゥベ、ドゥベ」と「べ」にそうとうする音がでるのです。


ギターでは1mmのホームベース型(昔はリッチー・ブラックモアタイプとか言われていました)と指を使って演奏していますが、ベースは一般的な三角ピックのFenderで言うところのヘビーです。両方ともカスタムで作ってもらったもので、スペックは同じなんですが、不思議なことに色でイメージが変わるんですね。ホームベースは材質の制約から白と黒ですが、黒の方が落ち着いた音色になるように感じます。三角ピックは緑、白のマーブル柄とマットの黒ですが、それぞれ感じ方が異なります。実のところは、関係ないとは思うのですが(笑)


指頭の深い浅いはピックでもあります。実際ピックのあたる面積を増やしたり、減らしたりというレベルとは異なり、ピックのあたる角度によって同じような効果が得られます。

ドーンとアクセントを低音で入れる場合、ダウンストロークでピックをフラットにあてるのですが、ピックの動くベクトルは斜め上から下のイメージです。ブリッジサイドから見るとピックの上部が弦より下側寄りになっている感じ。


すでにお気づきでしょうが、上記テクニックはアップでは物理的に使えません。よって演奏内容とピックのアップダウンには注意が必要となってくるのです。 *** ベース関連、その9


奏法についてはこれがシメに合うと思い、エイブ・ラボリエルのNAMMショーでのソロです。(ttps://www.youtube.com/watch?v=DX92oKySB5M&fbclid=IwAR3mfo33mwVxxDiKOUzbnnZpfNF3bmtb3bZxWCPzipshuX-962h3dM15NX4)


1973年リリースのクインシー・ジョーンズ「You've Got It Bad Girl」に収録されている「Summer in the City」のチャック・レイニーのプレイには飛ばされました。アルペジオから高いポジションでのダブルストップ(2音同時に演奏すること)が素晴らしいのです。

チャック・レイニーはクインシーの他、Steely Danのレコードでもその演奏が聴ける名手です。リック・マロッタとネイサン・イーストが「Peg」を演奏してくれた時、ネイサンはレイニーのパートを完全コピーしていました。


蛇足ですが、その前夜、渋谷にリック、ネイサン、そしてギターのワディ・ワクテルと居酒屋に飲みに行きました。壁に貼ってあるメニューが日本語なので、訳してあげると、リックが目配せをしたので、何かと彼に目で問うと、ワディが他の人と話しているのを見、小声で、「クジラがあるって言っちゃまずいぜ、ワディが切れるから」と教えてくれました。ハリウッド周辺の捕鯨禁止運動家らと仲が良いとのことでした。


閑話休題、チャック・レイニーですが、彼はベースだけで、所謂ベースパートだけ弾いているのがつまらなくなって、ハイポジションでギターパートも弾いてやろうと思い立ち、あの独特のスタイルが出来たとのことです。


ギターのテクニックが、ベースプレーヤーにも取り入れるようになったのは80年代後期ぐらいからでしょうか。Mr. Bigのビリー・シーンはスティーヴ・ヴァイとやるときはタッピングのフレーズをユニゾンで弾いたりしますね。


エイブ・ラボリエルのビデオを観て、面白いと思ったのは、彼がフラメンコやクラシックギターのテクニックを取り入れているところです。


ギターの右手の表記記号は、p=親指、i=人差し指、m=中指、a=薬指、そしてchあるいはeが小指となります。


ビデオの0:48や10:07では、aーmーiの三連符を弾いています。これはフラメンコのラズゲアードと同じ外へと指が開く動きです。


1:57からの三連符は、pーmーiで、クラシックギターのトレモロ奏法と同じ指使いです。クラシックギターのトレモロはpーaーmーiで、フラメンコの場合はpーiーaーmーiとなり、前者はベース音を弾くpと3つの音、後者はpと4つの音が奏されます。


役割はとても異なるギターとベースですが、テクニック的なクロスオーバーは進行しており、スラップのようにベース⇒ギターという移行も見られます。 ***

ベース関連、その10(今度でラスト)


最後に、日本の天才ベーシストをご紹介して、ベース関連のマニアックな投稿のラストにしたいと思います。


吉澤元春さんです(血縁はまったくありません)。初めて彼の演奏を聴いたのは、80年代当時良く出演していた、横浜のエアジンでした。元春さんのことは、ギターの高柳昌行さん周辺からアコースチック・ベース一本で演る人として噂は聞いており、彼が出演するというので観に行きました。ベース一本で一晩のライブを完全即興で、どのように演じるのか興味があったのです。


観客は彼のマネージャーとマスターの梅本さんを含め、4人だったと記憶しています。演奏が始まると、私たちは元春さんの世界に引きずり込まれました。音楽してるんです。彼の存在が音となって空間を満たしてくる。


今でも、彼がディレイを使って、当時廉価に可能となったあたらしい技術であるサウンド・オン・サウンドを使った音から「見えた」、海のイメージは鮮烈に記憶に残っています。

その夜の演奏が終わると、客席に座っていた梅本さんが、「本物だ!」と叫びました。ガラガラの店内ですから、プチ打ち上げで元春さんと飲みました。断られるのを覚悟で、彼に共演をおねがいすると、「いいよ」とあっけなく引き受けていただけました。事後、二回、彼とは共演しました。毎回、彼の演奏が素晴らしく、私は己の未熟を痛感させられ、自己嫌悪に陥ったほろ苦い思い出です。


吉澤元春さんは、ネット時代においても、その存在が一般はおろか、現役の多くのミュージシャンに知られていません。日本人ベースプレーヤーは星の数ほどいますが、私が天才と呼べるのは彼のみ。世界レベルのスケールの大きな芸術家でした。


風の便りに彼が亡くなったことを聞き、目の前に広がった風景はあの海でした。

Scott LaFaro

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