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  • 執筆者の写真Yoji Yoshizawa

微細・極大

更新日:2019年6月2日

昨晩、フラクタル次元の概念や量子レベルでの離散vs.連続の問題を思い出した。人間はあるところまで行くと認知的に離散的感覚を連続化させているのだ。簡単な例だと地図の作成だ。ごつごつとした岩場は地図にできないか?と言えば、否。実際、地図は出来る。ところがそれは全ての微細な岩と海(波がなく一定であると仮定して)との境界線まで描くことはない。測量ではAとBを適当な距離で直線として捉えるのだ。


ここで面白い問題が生じる。小学校の算数で習うのがAとBの最短距離は直線の長さである。ところがAとBを繋ぐ直線が直線ではなく一カ所おできのように出っ張っていたらどうだろう。後者の「直線」は前者より距離が長いということになる。コッホ曲線というものがある。画像のように直線に三角を作り、次にはその2辺の中心に同じように三角を作って行くというプロセスを繰り返すのだ。すると上記の考え方で行けば無限に「長さ」は増大していってしまう。


視点を変えて、私たちがエレクトロン(電子)の大きさの存在であるとしよう。すると私たちの今の大きさではどうでも良い岩場の突起は一大半島並みの大きさである。エレクトロンサイズの私たちの地図では無視できない大きさだ。このサイズの問題は記憶が正しければオッペンハイマーが哲学的に悩んだところである。


このような微細ー極大の事をあまり深く考えるのは精神衛生的に良くないのかもしれない。無限の濃度という概念のゲオルグ・カント―ルは晩年発狂しているのだ。




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