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  • 執筆者の写真Yoji Yoshizawa

The Road of Silk and Spice

最近、これまでほとんど勉強したことがなかった「海路」に興味が出てきて、色々と読んだり、地図を眺めたりしながら、あれこれ想像して楽しんでいます。切っ掛けはヴァイキングのイギリス・フランスへの侵攻史です。


イギリスはローマの衰退後、複数のサクソン国家、スコット、ピクトといったひとたちが支配していたのですが、東からヴァイキングが攻め入って来た、程度の認識しかもっておらず、すこし詳しく調べはじめたのです。


シルクロードは北、南、西南、そして海のルートがあり、これはロマ族のインドからの旅路と関係するので、ロマ系音楽(フラメンコなど)やリュート族の楽器の文脈で、興味をもっていました。


海のルートについては調べるとたいへん面白いことを知りました。インド洋からペルシャ湾や紅海を通る香辛料交易ルートはイスラム勢力が1509年のディーヴ沖の海戦まで握っていたのです。


戦いに勝利したのはポルトガル。これは日本史にとっても重要な出来事です。というのもこのルートがポルトガルの支配下にあった故、この地域を足掛かりとしたイエズス会の布教が実現したのです。


フランシスコ・ザヴィエルがインド西岸のゴアから日本に来るのは1549年。幕領に禁教令が出るのは1612年。1622年にペルシャ・サファヴィー朝がホルムズを占領し、ヤアーリバ朝がスペインとポルトガルを海域から追放するのは1650年。日本のキリスト教布教の始まり、そして弾圧を経ての鎖国までの期間がポルトガルによる海ののシルクロードの制海権とほぼ合致するのです。


布教においてスペイン勢力とポルトガル勢力、そしてオランダなどプロテスタント勢力の戦いは、軍事・資金援助という点からもこの海域における戦いを興味深いものにしています。ポルトガルがディーヴで戦ったのはイスラム勢力だけではなく、ヴェネツィアとの連合軍です。そしてホルムズ占領のサファヴィーにはイギリスがついていました。


このような事を踏まえると、日本と初めてキリスト教が接点をもった時代、望むと望まぬとも、日本はグルーバルな地政学的・経済的潮流と直面していたのです。この考え方は遠藤周作さんの「沈黙」にも見られ、最近では渡辺京二さんの「バテレンの世紀」という書にも見出せます。


世界のさまざまなつながりをあれこれ考え、勉強するのは楽しいですね。音楽という切り口をそこに加えると、単なる年表にも生き生きとしたものが感じられます。


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