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  • 執筆者の写真Yoji Yoshizawa

ゴジラ

Movie+でやっていたのでオリジナル(1954年)のゴジラを観た。色々な意味で凄い映画だ。人間の愚かさを描いているというのは当たっており、水爆に匹敵するゴジラを倒すためにはオキシジェン・デストロイヤーという、やはり水爆に匹敵する武器を使う。この部分でのオキシジェン・デストロイヤー発明者の芹沢博士に言わせる台詞とその後のストーリー展開が「人間の愚かさ」を描くポイントになっている。芹沢は「研究を焼いても自分の頭の中にあるからいずれまた兵器として自分の発明が使われることがある。この恐ろしい発明を世の中から消し去るには自分が死ななければならない」と言う。ところがテレビで鎮魂の歌を聞いてすぐ武器使用に合意する。おいおい。「一回だけ」とか言ってもなー。使っちゃいけないけど、使っちゃった。目には目を、という核兵器レースの時代背景の中、それに対する痛烈な批判としたかったのだろう。しかし、私はむしろ「種の保存」への欲求が道徳的思考に打ち勝ったという解釈ができると思う。


それにしてもこの映画を1954年に公開したのは凄い。戦争を思い起こさせるシーンが生々しいのだ。それを意図したのだとは思うが、湾岸地域の火災後は東京大空襲、病院のシーンは原爆投下後の広島、ご丁寧に「火垂るの墓」を想起させるシーンも出てくる。また任務のために死に行く自衛隊員・消防隊員、職務のため犠牲になる看護婦、マスコミの描写ではどこかしら昭和の「公のための犠牲は当たり前」と「御国のために」の危うい線が製作者・観客のメンタリティに存在するように思わせた。


他に面白いと思ったのは、在日米軍が出てこないというところと、人命を犠牲にしてもゴジラを研究したがる学者(志村喬)を結構フィーチャーしているところ。後者は結構巧妙に正当化ができており、「水爆にも殺されない生物の存在」になっている。要するに水爆(核兵器)の人への無力化ということだ。ここまでオルタナを核の恐怖の時代に脚本に書きこんでいるのはただただ凄い。


蛇足だが、ヘロインの河内桃子さんとは大学時代にニューヨークでディナーを両親のお客様としてご一緒させていただいたことがある。私は誰だかまったく知らずに同席した。


とにかく日本が世界に誇れる名画であると主張したい。



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