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  • 執筆者の写真Yoji Yoshizawa

作詞

大学ではクリエィティブ・ライティング(Creative Writing)なるコースがあり、作家や詩人、ジャーナリストを志望する友人たちはとっていたものだ。しかし当時の私は文学が苦手。ましてや文学的文章を書く才能が欠如していると思っていたのでそのような勉強とは縁遠かった。


しかし必要に迫られ作詞を20代で初めるはめになり、それからは独学で、といっても経験からの学びだが(有用な教科書なぞないので)、勉強の日々が30年以上続いている。

哲学科卒の私が文章を書くにあたって叩き込まれたのはA-B-Cと明確に道筋を詳らかにしたものである。これは論理的思考のディシプリンに必要不可欠であり、若い頃これを植え付け、育んでくれた諸先生たちには感謝するばかりである。


面白いのは詩作ではA-B-Cを論理的厳密性をもたせ、しかも明示しないでも受け手が間を感性で埋めてくれることを想定するところだ。A-Dという文をつなげても読み手はかってにB-Cあるいは異なる論理的道筋を見出しDに納得してくれる。これは認知科学的にはヒューリスティックによるものであるだろうし、言語学的には「意味論ネットワーク」の作用によるところだろう。

難しい話はさておき、感じることは人間の頭脳の素晴らしくミステリアスなところを眼前に広がる大海原のように対峙しながら詩作をする、この体験は苦悩も多いが、悦びも多き時間であるということだ。


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