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  • 執筆者の写真Yoji Yoshizawa

60年代後期~70年代初期イギリスにおける尖がりたがり少年の音楽嗜好

(オリジナルFB投稿:2018年3月10日)

ロンドンから1時間ぐらいの眠たい街に住んでいた中学生の私にとって最先端の音楽情報ソースは、Melody MakerとDiscという2紙でした。Top of the Popsというトップテン番組も一応は見るのですが、こちらには Led Zeppelinや Yesなどは出演しません。


Melody Makerにはポップスのみではなく、プログレチャートというものもあり、「尖がっていたかった」私たちはこちらに出てくるアーティストのLPを聴いていました。不文律として、シングルを出すバンドはダメ。「男は黙って」みたいな感じでLPだけを出すバンドをリスペクトしていました。


これまたいい加減なもので、いくつかのバンドはシングルをリリースし、Top of the Popsみたいな「ビートルズ(70年にはオワコン、あるいは子供の音楽とされていました)が取り上げられる」ような番組に出演しても許されたものです。


FreeやDeep Purpleは正に「許される」バンドでした。今、思うとプログレ黎明期の当時は、イギリス社会の文化的変革期でもあり、境界線の曖昧さが顕著でした。以前、ちょっと触れたように、スキンヘッドの文化が西インド・パキスタン系移民との共生から出発し、そこから排他的、白人至上主義のものに移行していった時期です。


「大人のやることはすべて否定」という空気の中、商業的な音楽に背を向けたかった私たちがシングルをリリースしないバンドを別格とした背景には、労働者階級(スキンヘッド文化)のレゲェやスカとは異なる、ベッドタウン白人文化の確立を模索するなかで、クラシックやジャズなど「高尚」とされる音楽の影響を感じさせ、一見、商業主義に媚びない、プログレが恰好のロールモデルに見えたのでしょう。


矛盾するところは多々ありました。PentangleやLindisfarneといったエスニックフォークっぽいのはOKでしたし、マッカートニーの「Ram」を好きだと公言できずとも、ハリソンの3枚組(一応クリームのギターも参加してるし)はOK。実際のところ言うだけで、サイモンとガーファンクルのアルバムを持っていたりするんですね(笑)


こういう状況で、数カ月、私たちが重大なる関心をもって追っていたのは、Led Zeppelinの4枚目に関する動きでした。アルバムの発売は、バンドが主張する「一切の文字をカバーに入れない」という条件をレコード会社が受け入れず、延期になっていたのです。

最終的にバンドの主張は一部通り、初版のカバーには一切文字が入っていません。もちろん私も持っていて確認し、バンドの骨太スタンスに拍手を送りました。そして、レコードに針を落とすと…



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