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  • 執筆者の写真Yoji Yoshizawa

ペスト医師

4年ほど前のブログで「ペスト医師」(英Plague Doctor、伊Medico della peste)に言及しました。ヨーロッパのペスト流行を背景として実在した彼らのマスクの置物を持っています。ヴェニスで購入したものですが、ペスト医師のマスクの奇異さと同時に、活動の内容に惹かれたのです。 「医師」や「Doctor」という呼称がついていますが、実態としては医療に関しては素人で、本来の意味の医師とは区別されていました。彼ら自治体から雇われており、実務の内容は感染者の報告であったと推察されます。現代の感覚では、医療の教育や資格を持っていなかったということで、彼らを軽視、蔑視することもあるでしょう。しかし、私は彼らを異なる視点から重要な存在であると思っています。 ペストという流行病はうつる、罹患すれば死ぬ可能性が高い、そのぐらいの知識しかなかった時代です。その不思議な鳥の嘴のようなマスクの形状は、薬草、藁、スパイスを詰めるためのものです。ソ連の原子力潜水艦K-19における冷却水消失事故を描いた映画を思い出します。大量の放射線を浴びることが確実な部屋に手動でしかコントロールできない装置があります。誰かがそこへ入らなければならない。送り出す上官は、意味をなさないと判りつつ、突入する若者にウェットスーツを着させるというシーンです。ペスト菌に効果などない薬草などだけを防御手段としてペスト医師たちは患者のもとへと向かったのです。 ペスト医師たちは、医師でも、司祭でもありませんでした。彼らは雇われていた素人です。当人たちは食い詰めて、危険であると知りつつも生活のためにペスト医師になったのかもしれません。 ペスト医師の重要性と最初に書きましたが、ふたつあると思っています。ひとつは統計的なデータ収集です。いつの世もデータ収集は簡単ではありませんが、中世の話です。自己申告のためにお役所や、街の中心地に集まれとも言えません。 もうひとつは、「希望」です。ペスト医師の訪問を受けた患者やその家族は、死刑宣告を受けたと捉えたことは想像に難くありません。しかし、逆に「これで治る、救われるかもしれない」との希望を持ったと考えることもできます。後者に着目すれば、人から疎まれ、避けられてきた患者に他者との接点を齎し、希望をあたえた存在としてのペスト医師が浮かんできます。ラザロの前に現れたキリストを連想したかもしれません。 心理学者のノーベルト・シュワルツは、「人生の幸福度・満足度についてのアンケート」を書いてもらうため被験者を集めました。アンケート記入の前に彼は被験者にコピーマシンへ行ってコピーを取ってもらいたいとお願いします。ひとつのグループの被験者がコピーマシンへ行くと10セント玉がおいてあります。もうひとつのグループには10セントは用意されていません。猫糞しても良心の呵責に苛まされる金額ではないと解釈するのか、10セントを見つけた被験者はそれをポケットに入れて、アンケートの記入へと戻ります。実験の結果ですが、10セントを見つけた人たちの方のアンケートでは、人生の幸福度・満足度が高くなりました。 私たちは小さな楽しみや希望を作り出したり、貰ったりしないと幸福であると自覚しづらいのではないでしょうか。空の美しさ、窓外の鳥の姿、誰かからのメッセージ…。嬉しい事は、それに気づく用意があればたくさん転がっています。メーテルリンクの青い鳥ですね。 今日はどんな「楽しみ」を見つけられたでしょうか?


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