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  • 執筆者の写真Yoji Yoshizawa

縄文人を想う:日本海(糸魚川)から内陸へのルート(塩の道)

更新日:2019年3月25日

山を眺めながら、縄文人の生活をあれこれ想像していました。

八ヶ岳周辺は縄文遺跡が多いのです。動植物性たんぱく質には困らないだろうなぁ、などと食について考えていて、ふと、塩分はどうしていたんだろう?と疑問をもちました。


日本は岩塩に乏しい国で、土器の研究から、彼らは干した海藻を焼き、「灰塩」を作り、それを容器に入れ、海水を注ぎ、煮詰めて塩を作ったと推察されています。


新潟県糸魚川市は、日本で唯一、ヒスイがとれるところです。縄文時代の勾玉などにヒスイが使われており、三内丸山遺跡でも出土していることなどから彼らが日本海沿いを北上したと考える根拠にもなっています。


この糸魚川市と長野県諏訪地方を結ぶルートは現在の国道148号線、通称「大糸線」(大町ー糸魚川)です。塩の道としての北國街道は上田から追分への道ですから、安曇野ー塩尻ー諏訪への日本海からの南直行は西側の北アルプスを避けた、大糸線に沿ったルートが使われたのではないでしょうか。


高速ができている現代でも諏訪地方から日本海へは結構な遠出です。これを歩いて、塩を運搬していたロジスティックシステムの全体像は掘り下げていくと面白い思索の切り口に満ちていると感じています。


たとえば、海の民と山の民が物々交換をした地理的に合理的な場所が、長野北部であるとすれば、そののち、上杉謙信と武田信玄がその支配をめぐって争った善光寺の位置からも多くの物語を想像することができます。 今日は、一日中、音楽から休憩を取り、鳥の本を読んだり、ぼんやりと古代、中世、現代の物流やら、地理的、民俗学的な思索にふけっていました。日も落ち始めましたので、シャワーでも浴びて、心機一転、練習をします。




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