• Yoji Yoshizawa

私の音楽的ルーツ(26)

これまでルーツを色々とご紹介してきましたが、ジャズ(マハヴィシュヌはジャズという認識ではありませんでした)が出てきていないことにお気づきでしょう。10代前半からジャズサウンドはテレビや、両親の持っていたレコードで知っていましたが、あくまでも古い時代の音楽であり、プログレとかハードロック世代にとっては興味をそそられるものではありませんでした。


ジョージタウン大を蹴った時点で外交官志望は薄れており、法科がない母校で哲学を専攻したことから学者を志望していたのですが、学問で食べて行くことの現実がつまらなく思え、音楽の道を選択しました。この時から、マンハッタンに住んでいたこともあり、ジャズを知らないと拙いぞと思って勉強するようになりました。


今も得意な方ではありませんが、この時点では譜面もカタツムリのスピードでしか読めませんし、技術的にも足らないところばかりでした。まずは和声の理論という壁にぶつかります。ネット時代ではないので、色々と本を探し、勉強してみるのですがたいへん苦労しました。しかし、後年、「教えてもらわなかった」ことが私の財産となりました。暗記は当たり前で、内容を納得行くまで掘り下げるプロセスを学べたのです。この学習法のベースは恩師マレイ・ドライ先生の政治哲学の教室でも叩き込まれたもので、それに異なる応用分野を見つけ出したということでしょう。以降、大学院、実社会においても全ての学びの基本スタンスとして維持できています。

そういう状態で、弟が大学に遊びに来ました。おみやげのひとつとして持ってきてくれたテープに入っていた一曲目がこの曲でした。ジム・ホールはチョーキングしたり、オーバードライブサウンドに通じるダークトーンで、ロックギタリストにも親近感を覚えさせるプレーヤーです。またドラムスはスティーヴ・ガッドで、トラッドなジャズサウンドというよりはフュージョン的なフォービートを叩いています。

ジム・ホールの芸術はたいへん高度なもので、今でも大好きなギタリストです。特に彼の即興演奏へのスタンスはとても自由で、カナダのミュージシャンとのトリオライブ音源では何拍もビートがなくなったり、足されたりしています。和声進行やヴォイシングも素晴らしく、こちらはロン・カーターとのDuoで堪能できます。

大好きで、自宅では真似をした演奏とかしますが、人前ではやりません。音楽家としてプロになるのであれば、誰それに似ているでは駄目であるとの信念があります。「和製」なんとかというのや、誰それみたいというのが大嫌いです。本家や元祖があるんじゃんってことになりますよね。如何に自分の声を確立するかが大切なことであります。芥川龍之介やレイモンド・カーバーを好きで、文体を暗記したとしても自分が自分の名前で書くものがそれと見まがうようであってはやる意味がなくなってしまうのではないでしょうか。自分の言葉、自分の声を探すのは高村光太郎の「僕の前に道はない」状態と向き合うことだと思っています。

このスタンスは音楽や、他の芸術を志す方々には厳しいと取られがちですが、反対に他者がやっていることを全て出来なくても、それが個性につながるのであれば良いということでもあります。もちろん技術習得の過程などにおいて血を流す努力をすることは当たり前で、その上で、どうしても同じ音がでない、同じフレージングができないとなった時に「自分」が何者であるかを問い、これが「自分の音」であると開き直るこという意味です。逃げ道ではないので、いずれの観方を取るにしても甘くはないということですね。


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