• Yoji Yoshizawa

私の音楽的ルーツ(11)

当時ヨーロッパのテレビに結構出ていたのがマニタス・デ・プラタでした。私に影響を与えたギタリスト#1であることは確実です。


しかし先生も容易に見つからない時代で、母がやっと見つけてきた人は「最初はクラシックもフラメンコも一緒だから」と言われて所謂クラシックテクを2~3回教わっただけ。結局、約50年の時を経てやっとフラメンコを勉強できるようになりました。


単なるフラメンコギタリストではなく、完璧なショーマンだった彼はヨーロッパの芸能・芸術コミュニティに支持されました。たぶんチャーリー・パーカーらアメリカの黒人ジャズマンがヨーロッパで受けた歓待に似たようなところがあったのでしょう。

当時のイギリスでは空地(と言っても緑草に覆われ、樹木が多い)にジプシー(今はロマですね)がFairと呼ばれるアトラクションを一時的に「持ってくる」のです。車ぶつけあうアトラクションと、トッフィーアップルが楽しみでした。そしてしばらくするといなくなっている。子供心にも攫われるというか、危険な香りがする人たちがやっているんですね。そういう背景で(もちろん西南ヨーロッパとは文化が違いますが)マニタスは異質の文化から既存社会に現れた天才のような位置づけであり、また彼もそれを十分解った上で上手に立ち回っていると思っていました。

フラメンコの世界では、彼は正統派と見做されておらず、イロモノ扱いですが、「金さえ払ってくれるんだったらそんなの関係ねーよ」のスタンスはロマ的に正統なものだと思っています。フラメンコが飯の種になる契機も(綺麗に表現して)北ヨーロッパの異文化への憧れがあったことは映画「サクラモンテの丘」にある数々の証言からもうかがえます。


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